高松南ロータリークラブ
高松南ロータリークラブ 高松南ロータリークラブ
トップページ
活動報告
クラブ概要
  2005-06年RIテーマ
  国際ロータリーの使命
  四つのテスト
  ロータリーの綱領
  クラブの沿革
  会長・幹事 就任挨拶
  クラブ役員一覧
  歴代会長・幹事
例会場
ちょっといい話
プログラム
RI2670地区
リンク
おもてなしステーション

ロータリーインターナショナル
ロータリージャパン

検索
Google検索
■更新履歴はこちら

活動報告


2006-7年度 高松南ロータリークラブ 第40回例会の記録
  平成19年4月25日(水)16:00〜 全日空ホテルクレメント高松
  堀 祥二 会長 / 佃 昌道 幹事


 高松南ロータリークラブ創立50周年記念式典

                  司会 SAA 田中弘之、藤田徳子、大倉秀人
第1部 記念式典  
  開会の辞             向井攻一
  国家「君が代」、ロータリーソング「奉仕の理想」斉唱 大倉秀人
  黙祷(物故会員)
  創立50周年記念式式辞       吉岡耕造
  会長挨拶             堀祥二
  創立50周年祝賀メッセージ     William B. Boyd
  祝辞 RI2670地区ガバナー     飯忠悟 
      香川県知事        真鍋武紀
      高松市長         増田昌三 
      RI7470地区パストガバナー  Sven Johnson
  50周年記念事業披露 栗林公園へ「西嶋八兵衛自画像・陶板」贈呈
  閉会の辞             佐々木正久
高松南ロータリークラブ

贈呈 西嶋八兵衛自画像・陶板


第2部  記念講演

     演題「教育という大業」 
     講師 RI第2580地区パストガバナー 佐藤千壽(東京東RC)
高松南ロータリークラブ

佐藤千壽 様 記念講演


第3部 記念祝賀会

  ピアノ演奏             吉田沙織
  祝賀演奏             ソプラノ 藤原フサエ ピアノ 植松亜美
  開演のことば           豊田章二
  乾杯               太田英章
  閉演のことば           細溪英一
高松南ロータリークラブ

日本銀行高松支店長 正願 隆一 様


佐藤千壽様 ご講演内容

□ Invisible hand
高松南RC初代ガバナーの渡部兼雄さんは私と同期のガバナーで、ガバナーエレクト研修セミナー(GETS)に日本から参加した20数名のガバナーの中で最年長でありました。その後毎年同期会を開きましたが、渡部さんが最年長なので最初の幹事をするということで、約30年前に高松に来て屋島その他を訪れました。そしてまた、太田さんが渡部さんとクラブに同日に入会したということを聞き、因縁があって、渡部さんが太田さんの口を通して私をお呼びになったのではないかと思います。この世の中には人智で計り知れない何かがあると思います。

□ Lake PlacidでのGETS
1974-75年度のGETSは米国Lake Placid で開催された最後の年で、当時のGEのBill Robbinsは心の琴線に触れるような話をされる方でした。「文明の価値は何によって計られるか。都市の大きさではない。人口の多さではない。都市の収入の多さではない。それはいかなる人を作ったかである。」「ロータリークラブの価値は何によって計られるか。クラブの大きさ、会員数、会費の大きさではない。そのクラブがいかなる人を作ったかである。」私はこれを職業奉仕に置き換えました。「会社の価値は何によって計られるか。資本金の大きさ、売上高の大きさ、利益の大きさではない。その会社がいかなる人を作ったかである。」

□ 日本はずっと昔から教育熱心な国であった。
明治9年にドイツのベルツ博士が日本に来てすぐ「この国は素晴らしい。私はまず全国を視察して歩いたが、どんな田舎の村に行っても学校がある。その学校は村中で一番良いところにある。村人が道で先生に会うと丁重に挨拶している。これだけ学校の先生が村中から尊敬を集めている国が良くならないはずがない。」といいました。その起源が鎌倉時代に遡る、寺子屋の普及が背景にあったことに繋がりますが、全国に明治初年にはすでに小学校が15,862校ありました。寺子屋では読み書きそろばんを基本に、漢学、詩歌、裁縫、生け花、茶の湯も教えていました。先生方もお坊さんだけでなく、神官、医者、教養のある武士など多士済々でした。明治初期に西欧列強に恐れられるようになったのは、こういう基本的な教育が国民に浸透していたおかげなのです。そしてこの教育は単に知識と理念の切り売りをしただけでなく、その根底に教師に対する尊敬と、それに基づく信頼の絆で生徒と結ばれていたのです。博士はこのことから日本の将来を予測したのです。

□ 戦後日本の変質―物質の過剰は精神を貧困にする
戦後の教育はアメリカの民主主義、自由主義を曲解したことにより、無差別、無秩序となって、先生と生徒が友達となってしまいました。めだかの学校ではなくすずめの学校でなければなりません。戦後の日本はお金が大事だ、お金があれば何でもできる、お金で買えないものはないという風潮になりました。しかしこの世の中にはお金で買えないものがいっぱいあります。お金で買えないものにこそ大事なものがあります。ある新聞記者が貧困と、貧富の差が大きい中南米の駐在から帰ってきて、子供が転校し、その父兄会に行くとたまたま寄付金集めをしていました。そして後援会の代表の方が「このお金は見ず知らずの国の生活困窮者のために集めるのではありません。私たちの可愛い子供たちのために使われるのです。よろしくお願いします。」という話を聞いてビックリしました。経済社会において、経営者は株主に雇われている管理人だということが定説となっているとすると、これを学校に置き換えると、学校は授業料を払っている父兄のもの、先生は父兄に雇われているに過ぎない、という考えが出てきます。これは由々しき問題で、そういう潜在意識があれば、以心伝心で必ず子供に伝わるのです。青少年教育の前に考えなければならない事がたくさんあります。

□ 礼は身の幹なり、敬は身の基なり
昔の親はたとえ学問がなくても、毎日の姿勢で子供を導いていました。自分の親に感謝できない人が子供を育てられないと思います。道徳教育といっても、それを行なう本人が行動をもって表せなければ、何にもなりません。子供は親の背中を見て育つのです。

□ 西郷南州遺訓
西郷隆盛は徳之島と沖永良部島に島流しにあっていますが、その地元の人たちに教育をしています。ある時西郷が、「一家が平和に暮らすにはどうしたら良いか。」と問うと、その中の一番優秀な子供が「それは五倫(君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)五常(仁・義・礼・智・信)の道を究めることです。」と答えると、「いやいや、そんなのは金看板だ、欲を離れることが第一だ。」と言いました。そして「欲を離れれば慈愛の心が自然に湧き出てくる。」とにかく西郷は度量の大きい人でした。

□ 戦前の東京大学、旧制高等学校
当時の大学で学んだことは、「とにかく黙って聴いて、帰って自分で考えなさい。」ということで、講義よりもその間の雑談の方がはるかに面白かったし、そういう先生たちの人生訓が社会に出てからいかに役に立ったことでしょう。そういう応用能力をつけなければなりません。また旧制第二高等学校に入学した時の名校長であった阿刀田先生は、入学式で開口一番「主たる教育の場は教室の外にある。」と言いました。当時の旧制高校入学者数は少なく将来の日本を背負って立つという気風がありました。現在と社会構造が違うので同じには行きませんが、とにかく学校教育よりも人間教育ということでした。

□ ロータリーの交換学生
この地区でも長い間青少年交換をしていますが、これは教育上大変良いことだと思います。私の地区でも地区大会の時に、帰国してきた交換学生に発表させています。一般的には地方都市の中流家庭でホームステイをし、決してお客様扱いされません。お茶もう一杯いかがと聞かれたときには「Yes」「No」ではなくて「Yes please」「 No thank you 」と言いなさいとか、発音が悪い時には何度もhost motherに直されるのです。学校に対して企業も悪いところがあります。大学では社会にでて直ぐに役立つ事を教えろと言います。しかし、そんなものは直ぐに役に立たなくなるのです。アメリカでは今のBush大統領の母親であるBarbara元大統領夫人は、Hillary Clinton元大統領夫人よりもはるかに人気があります。彼女は一度も就職をしたことはありませんが、名門大学に講演に呼ばれ、「職業的な成功だけが人生の価値ではありません。人間にはもっと大切な事があります。家庭で子供を育てる事がいかに大切な事か。」ということで、やはり教育の原点は家庭にあるということです。ロータリーも家庭を考えなければなりません。

□ マザーテレサの話
マザーテレサの下には世界中の修道院からたくさんの人が来て彼女に感激し、「私たちにできる事があればぜひお手伝いしたい。」と言うと「あなたは直ぐに故国に帰りなさい。そしてあなたの一番近い人を大事にしなさい。」と言います。これも教育の原点は家庭にあるということです。

□ ヘッケルの法則
ヘッケルは、ダーウィンの進化論を受け入れ、生物は個体発生と系統発生を繰り返すと言う反復説をたてました。人間の子供は妊娠から出産まで280日という日数を母親の胎内で猛烈な勢いで育って生まれてくるのです。何十万年も繰り返し変化してきたものをその速さで完結するのです。この肉体的変化は精神的にも同じことが言えます。人間は言葉など何もない動物から何十万年もかけて言葉を創ったのです。これは大変なことなのです。ペスタロッチは極端な言い方をしました。ある母親が3歳の子供を抱えてきて「これから子育てをするのですが大事な教育のことを教えてください。」というと「3年遅い。」と言いました。少なくとも3歳までに子供が理解してもしなくても、胎内にいる時から語りかけなければならないのです。

□ Choresということ
30〜40年前に日経連の定例視察団でアメリカに行った時の話ですが、当時のHarvard大学の教授が「最大の悩みは青少年の不良化」ということでした。その昔にはアメリカの子供たちにはStudy、Work、Choresという3つの仕事がありました。Studyは分かるとして、Workは自分の小遣いは自分で稼ぐということです。そして、もう1つとしてChoresがありました。Choresとは炊事、洗濯、掃除の手伝いなど、家庭内のつまらない、いやな、骨の折れる、金にならないことで、そういったことを嫌がるようになってきました。これが不良化の原因となったのではないかということです。


高松南ロータリークラブ

会員皆の手作りで準備


高松南ロータリークラブ

開催ギリギリまでも一生懸命

堀会長5月9日会長挨拶より抜粋
4月25日の高松南RC創立50周年記念式典、記念講演会、祝賀会におきましては、会員皆様の多大なご協力をいただきまして誠にありがとうございました。おかげさまで盛大に50周年を祝うことができたのではないかと思います。今朝、チャーターメンバーである木村寿雄さんからお電話をいただき、「50周年記念行事は大成功であった。私も誇らしかった。準備も大変だったでしょう。皆様の友情に感謝します。」と、最高の賛辞とねぎらいのことばをいただきました。ありがとうございました。当日の記事が四国新聞と毎日新聞に掲載され、またNHKニュースでも放映されました。その記事にもありましたが、当日知事に贈呈しました西島八兵衛自画像陶板は、栗林公園の東門から入って直ぐのところにある讃岐民芸館の、これまた入って直ぐのところに展示していただいております。「贈呈高松南ロータリークラブ」という文字も入れていただいております。ぜひ、栗林公園に行かれてご覧になってください。

ガバナー月信投稿原稿より (堀 祥二 会長)
 高松南ロータリークラブは昭和32(1957)年4月26日に高松RC をスポンサークラブとして発足し、先日、創立50周年を祝いました。
私たちはクラブ50年の記念として、創立時以来のテリトリーの中心的存在であり、またクラブバナーや5年ごとに発刊してきた記念誌の表紙のデザインとしても採用されている栗林公園にスポットを当て、歴史や現状、維持管理に関する苦労、公園の見どころ、歩き方や愛し方など多くのことについて、例会その他の機会を利用して会員全員で勉強しました。 記念事業としては栗林公園の発祥にも関係し、満濃池の改修など香川県の水利と新田開発に貢献した17世紀の高松藩主生駒家の客臣、西嶋八兵衛の自画像を陶板で作製し、栗林公園に寄贈しました。
 記念式典には地区内からは飯ガバナー(G)、稲山GE、7名のPDG、G補佐、県内17クラブの会長、幹事、野球部の皆様など、そして7470地区(米国New Jersey州)からは30年来の友人であるSven Johnson ご夫妻、また西嶋八兵衛所縁の地、三重県上野RCの会長幹事様などたくさんのロータリアンにご出席いただきました。また、真鍋香川県知事、増田高松市長、地元経済団体代表者、マスメディアの方々にもご参加いただき、来賓総数88名それに会員、配偶者90名を合わせて約180名で盛大に祝う事ができました。
 RI会長お祝いメッセージ伝達に続いて飯G 、真鍋知事、増田市長、Sven さんから祝辞をいただいた後、西嶋八兵衛陶板自画像を知事に贈呈しました。この模様は翌日の四国新聞と毎日新聞に掲載され、NHKローカルニュースでも放映されました。
 記念講演会では、2580地区PDG(東京東RC)の佐藤千寿壽様に「教育という大業」というテーマでお話をいただきました。戦前(明治初期から)日本の教育の素晴らしさと、戦後の民主主義の曲解から生じた混乱と教育の荒廃。礼は身の幹なり、敬は身の基なり。教育の原点は家庭にある。主たる教育の場は教室外にある。学校教育より人間教育。欲を捨てれば慈愛の心が生じる。choresの大切さなどについて熱く語られ、深く考えさせられました。
 祝賀会は会員令嬢である吉田沙織さん(中3)のショパン幻想即興曲で開幕し、高松短期大学教授藤原フサエさんのソプラノ独唱、そして石川浩会員作詞のロータリアン賛歌を参加者全員で歌った後、豊田章二GNの発声で乾杯し、楽しい宴に時が経つのも忘れるようでした。
 最後になりましたが、当日ご参加いただきました皆様にはお忙しい中ご出席をたまわり、心からの祝意をいただきましたこと、この場を借りまして心よりお礼申し上げます。
  私たち高松南ロータリアンは、今後も身の丈にあった奉仕に目を向けながら、あるべきロータリークラブの姿を明らかにして、その目標に向かって努力する所存でございます。
  今後も、皆様方の温かいご支援をお願い申し上げます。

『ロータリーの友』の「地区のたより」5月号用原稿より (堀 祥二 会長)
国の特別名勝「栗林公園」でのクラブ創立50周年記念例会

 高松南RCは昭和32(1957)年4月26日に、高松RCをスポンサークラブとして、高松地域に奉仕する次男坊クラブとして発足し、今年4月に創立50周年を盛大に祝います。
 その記念事業として、高松の象徴的存在であり、数少ない国の特別名勝にも指定されている栗林公園にスポットを当て、その現状や歴史、見どころ、維持管理などについて会員全員で勉強し、地域の文化遺産としての価値を十分に認識した上で、広くPRを行なっていこうと考えています。
 栗林公園は元亀、天正(1572~93年)の頃、当地の豪族佐藤氏によって築造されたのに始まり、その後高松藩主であった生駒家4代(54年)、松平家11代(228年)の間、各代藩主の庭園あるいは下屋敷として長い年月をかけて整備されました。古図にも載っていますが、当時の儒学者によって命名された元禄時代からの名所の呼び名(飛来峰、偃月橋、掬月亭、芙蓉沼など)は今も変わっていません。廃藩置県後(明治8年以降)は県立公園となって一般に公開されています。
 その面積は755,000uで全国に33ある特別名勝の中でトップの広さを誇り、時代とともに少しずつその趣は変化してきていますが、現在も南庭、北庭に6つの池と13の築山で構成される典型的な回遊式大名庭園です。この回遊式庭園というのは「池泉を中心に配置されているそれぞれでひとまとまりの庭空間を次々に巡りながら観賞する庭園形式」と定義され、樹木の手入れに関しては、神社、仏閣に多い座観式庭園(座敷から見る庭園)とは違って、四方正面を目指さなければならないという苦労があります。そして栗林公園を造っている築山、石、池、樹木、工作物(橋、建物)などは全てが自然の素材で、バランスを大事にした縮景が基本です。植栽の特徴は同じ樹種を一定のエリアにまとめて植えていること(モミジは楓岸、ソテツは鳳尾塢、マツは渚山など)で、広大な面積に変化を持たせようとしています。
 園内には172種、32,000本の樹木がありますが、「栗」林公園といいながらその中心は「松」で、16haの中に1,400本の松があり、その内の1,000本が手入れ松であり、皇居を除けばこれだけの手入れされた松があるところはありません。栗林公園の造園課には14人の樹木を管理する技術者がいますが、それぞれが作庭の意図や樹木の役割を十分に理解し、その全てを伝授され、伝授しながら、公園を愛し、一枝一枝手入れをしています。
 全国のロータリアンにこの地元の宝を紹介する機会が得られたことを感謝します。ぜひ我々のクラブにメイクアップをするとともに、訪れていただきたいと思います。
3月7日例会は栗林公園内の偃月橋の上で記念写真撮影(写真1)後、掬月亭で行ないました。掬月亭は旧藩主が愛した茶室で、園内の茶屋の中でも一番大きく、特に主要なもので、四方正面ともいえる数奇屋風書院造の建物です。写真2は偃月橋から掬月亭への移動中の写真で、第10代会長の大西寧会員(93歳)を高松南RC野球部エースの前田恭典会員が背負っています。

高松南RCはこの50年間に渡部兼雄(1974−75)、近藤良一(1980−81)、牟禮米一(1984−85)そして太田英章(2000−01)という4人の地区ガバナーを輩出し、さらには豊田章二会員が2008−09年度の地区ガバナーとして指名されており、クラブを挙げてその準備に取り掛かっているところです。
高松南ロータリークラブ

栗林公園にて




戻 る 》》》