私は平成8年から栗林公園の管理に携わっていますが、専門は造園で、大学を卒業して入庁し、主に県立公園の管理をしていました。そして栗林公園と関わるようになってから日本庭園について勉強をはじめ、一生懸命取り組んできました。今日はその一端をお話したいと思います。
皆様栗林公園は桜や梅、蓮など、その季節の花を求めて訪れることが多いかと思いますが、栗林公園の基本は何かと言えば、地割と石組みということになります。地割とは建物でいえば間取りに相当し、ここに玄関や台所を配置するというように、池の配置などを大事に考えていくことをいいます。石組みも何らかの目的を持って置かれています。こういうことをまず理解していかなければなりません。
栗林公園のような庭園形式を回遊式庭園といい、これに対して京都の神社、仏閣にあるような座敷から見る庭園を座観式庭園といい、大きく分けてこの2つの形式があります。座観式庭園は枠組みの中で1枚の絵を見るような、芸術性の高い庭園を作るということに趣をおきますが、回遊式庭園というのは「池泉を中心に配置されているそれぞれでひとまとまりの庭空間を次々に巡りながら観賞する庭園形式」と定義されています。栗林公園の場合も池の周りのそれぞれ違う庭園空間を、自分の足を進めながらその変化を楽しんでいくという、典型的な回遊式庭園の特徴をもっています。この観点からいいますと、樹木の手入れの仕方も見る人が動いていくわけですから、どこから見ても一番良い姿を見せるようにしなければならないということになります。座敷から見る場合には見える側だけを一番綺麗に見せることが出来るかもしれませんが、回遊式庭園の場合には四方正面を目指さなければならないというところに苦労があると思います。栗林公園の魅力は「一歩一景」とよく言われるように、歩くたびに景観が変化するところにあります。これは演劇の用語でもあるシークエンス(=移動を伴う景観の変化)と同じ意味であると思います。つまり、門から入って、ある時は芝生の広がりを見せたり、その次には樹木で覆い被せたり、築山に登らせたり、池のほとりを歩かせたりすることで広狭、明暗、高低、開閉、遠近、静動を組み合わせ、効果的演出をしています。その上に自然や時間による変化が加わり、その演出がさらに変化する魅力が加わります。これは作庭者が意図してそういう構成にしているからでありますが、栗林公園が後楽園や兼六園など他の庭園よりも魅力があるといわれるのはこの変化によるものであると思います
私は栗林公園のクライマックスは飛来峰にあると思います。栗林公園の飛来峰が富士山の形をしているがゆえに、ある文化財の調査報告書の中に「富士山は眺めるものであって上るものではない。稚気な試みである」と評価しているものがありました。しかし私はそうは思いません。飛来峰に上る時には少ないながらも階段を上ります。階段を上る時にはその人の目線は足元にしか行きません。そして最後に上り詰めたところで紫雲山を眺めるあの景色をパッと見せる、ということを歩く過程の中で計算し尽くしているのです。お客さんが来た時に栗林公園に行って最初に飛来峰に上げるのではなく、それぞれのところを歩いて、ようやくそこにたどり着いたところで今までの景観を全部見せようという演出に栗林公園を作った人の思いが読み取れると思います。
栗林公園を作っているのは土(築山)、石、水(池)、樹木、建物を含む工作物(偃月橋、掬月亭)等全てが自然の素材です。そこに特徴があり、難しさがあり、良さがあります。日本庭園は縮景が基本で、例えば天橋立や富士山、中国の西湖を自分の庭の中に景色を縮めて入れたり、京都の石庭のように宇宙や仏教観を石に表現していたりします。そこで造園的には何が課題であるかといえば、景色を縮めているわけですからバランスが大切ということになります。したがって、築山の大きさ、樹木の高さ、島の大きさ、建物の大きさなどのバランスが非常に重要となってきます。そして、それを修正、維持していくのが庭園の樹木管理ということになります。飛来峰、芙蓉峰は富士山の縮景ですからその山型の稜線は重要で、それを松などの樹木でかき消すのではダメということです。栗林公園は直営で管理しており、造園課には約30名の職人がいますが、そのうちの14名は樹木の管理をしています。木を剪定する技術は鬼無の植木屋さんや造園家でもできますが、栗林公園の場合にはここに生えている樹木がどういう役割をしているかを知っていなければ剪定はできないと思います。そして作庭の意図を理解しなければ樹木の手入れの仕方が全く変わるということを技術者に全て伝授しなければならず、そこが一番難しいところです。さらに、それを読み解く感性を持っていることが大切で、常日頃から他の庭園や芸術に触れながらその感性を養っておくことが必要です。その上に一番大事なのは栗林公園を愛する気持ちがなければならないというところだと思います。私が平成8年に初めて赴任した時のことですが、そのときの技術者が手入れ松に駆け上がって、本人も薬でずぶぬれになりながらも、上から下まで一枝一枝もれなく予防薬をかけているのを見て、これは木を愛する気持ちがないとできないと感心しました。
栗林公園は1630年頃から造り始め、5代将軍頼恭公の時(1745年、延享2年)に各所を命名し直して一応完成を見たと言われています。そのときに儒学者であった中村文輔が、実際にそこに住んで書いた「栗林荘記」の中に、園内の60景(実際は59景)が3281字の漢文で詳しく書かれており、他の資料が少ない中でこれが理解を深めるためのお手本となっており、これを規範として管理を行なっています。
園内には総数51科、172種、約32,000本の樹木があり、そのうち人的に手入れしているのは約10,000本ですが、この172種というのは400年の歴史の中で自然淘汰されてあらゆる環境に生き残ったものであって、本当はもっと多いと思います。
江戸時代の大名庭園の特徴は明るさと拡がりを持っていることで、そこが室町期との違いです。栗林公園は面積が16haの内3.5haが池ですが、これは元々ここが香東川の河床であって豊富な水量があったためにこのような広大な池があるということですが、これで明るさと拡がりを表現しているということなのです。岡山の後楽園はそれを芝生で表現しています。今でこそ芝生の公園は数多くありますが、当時としてはその発想は他に例を見ないものであり、そこのところは非常に価値があるものであるといえます。
栗林公園の植栽の特徴は、同じ樹種を一定のエリアにまとめて植えてしまうというところです。例えばモミジは楓岸(ふうがん)や掬月亭の前の島に限られ、涵翠池(かんすいち)の北側の鳳尾塢(ほうびう)にはソテツ、杜鵑嶼(とけんしょ)にはサツキ、渚山(しょざん)には松ばかり植えているというところが特徴となっています。なぜこうなったかといえば、公園が広大なゆえに、どこを歩いても同じような風景にしか見えなくなるため、変化を持たせるようにこうなったということです。栗林公園には栗があまりないので、よく松林公園であると言われますが、そのとおりで松が中心となっています。16haの中に1,400本の松がありますが、その内の1,000本が手入松で、全国の庭園の中で皇居を別とすれば、これだけの手入れされた松があるのは栗林公園だけです。松の手入れに費やす作業量がどれだけあるかというと、造園課30人の全作業量の内の約35%(1,950人日程度)と換算されます。樹木の手入れをしている14名に限定しますと、その約60%を松の手入れに費やしており、1年間のうちの10ヶ月をかけてようやく一巡できる量です。一芽一芽全部鋏を入れるのでそれだけ手間がかかるわけで、松が一番金食い虫であるといえます。他の公園と比較しますと、金沢兼六園は11.4haに手入松は160本、岡山後楽園では13.3haに136本で、1,000本という数がどれほど多いか、それに費やす人や作業量がいかに多いかが分かると思います。園内の有名な松としては鶴亀松や枝振りが際立っている(高松南RCのバナーにも使われている)箱松が挙げられます。
今後の課題としては、5代将軍頼恭公の時にあった百花園(薬園・今は梅林、茶園となっている)には、当時牡丹、芍薬、椿、菊など多種多様な草花があったわけで、過去の文献をひも解いて、この場所にはこれがあったということを解明しながら、文化庁の許可も必要ですが、復元したいと思います。また樹木の管理についても技術者が毎年剪定するものと、全くしないものとの差が目立ってきており、ここにも感性が必要ですが、非常に難しいけれども中間的な手入れ(剪定するものとしないものの中間)が重要となってきています。そして水の管理も大切です。水はまさに生きており、夏場に起こる「あおこ」の発生にも対策が必要です。石の管理につきましては、石は留ったものだから管理しなくてもいいのではないかとも考えられがちです。しかし石にはそれぞれ勢いがあり、その周りに対する影響を与えるような空間があるので、その空間を大事にしていく必要があります。
栗林公園は1745年頃までに60景が造られて、それぞれの場所が命名され、そしてそれぞれに物語があるわけです。その物語を我々造園技術者も読み解いていっているわけですが、植物そのものにも歴史や深みがあり、私たち自身もそこを磨くことによって栗林公園の見方が深まり、尽きることのない魅力を持っている公園であると思っています。皆様方が栗林公園を訪れる時も、単に花を愛でるだけではなく、栗林公園全体を見てみようという目線で見ていただけたら、さらなる趣があると思います。今日はありがとうございました。