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活動報告


2006-7年度第20回例会の記録
  平成18年11月22日(水)12:30〜 全日空ホテルクレメント高松
《プログラム》 客話「栗林公園外伝」 高松大学 津森明教授


ロータリークラブ客話
 古いこと(歴史)を知る場合の大きな要素としては、記録されたもの(戦闘詳報等)や記憶されたもの(おじいさんからの口伝等)、埋蔵物(証拠)、書かれたもの(小説等)などがあります。ドイツを統一したビスマルクが「賢者は歴史で考え、愚者は経験で考える」といったように歴史を知ることは大切ですが、それぞれの要素には「はざま」があるし、時代小説のように信じきってはいけないものも入っているので、総合的に考えなければなりません。栗林公園がいつできたかについては、松平の殿様が造ったとか、生駒家第4代の高俊公の時に西島八兵衛が来て造ったとか、小堀遠州が造った回遊式庭園であるとか諸説あります。さらに口伝では南湖の飛猿巌の石組みは室町様式なので室町時代にできたのではないかという人もいます。そうなると500年位前にできたとも言えます。また、佐藤道益(志摩介)が最初に造ったということはよく耳にします。佐藤道益は生駒家の家臣で、生駒高俊が出羽国矢島に飛ばされた時について行ったということは有名で、矢島町には道益園があり、立派なゲストハウスもあり、地元の人たちも栗林公園を作った道益が我々の町へ来た佐藤家の先祖であると信じています。元暦2年(1185年)に発行された古版讃岐名所図会には、この佐藤道益が源平の屋島の合戦に来た佐藤継信に関係があると書かれています。佐藤継信は奥州福島大鳥の人で、一の谷の戦いで源氏が勝って、その1年後の屋島の合戦のために斥候として高松に来て、安徳天皇周辺を調べ、源義経の身代わりとして戦死しました。その当時、継信は27歳で土地の女との間に一子をもうけ、その子が道益の先祖であるといわれています。そしてそのお墓があるところを、「佐藤」の「藤」を採って、藤塚町と呼ぶようになりましたが、そこの徳善寺の墓にある塚が道益の墓であるといわれています。そして道益がいた頃には香東川は吹上から南湖、小普陀を通って山際から北門の方に流れており、佐藤家が飛猿巌付近に邸宅を造っていたといわれています。このように矢島に佐藤道益の話があるとか、道益が生駒親正の家臣であったということを考えると、道益が栗林公園の基礎を造ったと言うことは全面否定ができないということになります。また、18世紀の学者の後藤芝山が今の北門(昔は正門であった)のことを ?口(かいのくち)御門と詠んでいます。?とは谷間のことを意味し、栗林公園ができたころは北門のところはまだ谷であったということで、17世紀の初め頃にはすでにある程度の形ができていたのではないかと考えられます。また、香南町の歴史資料館に栗林公園から出た埋蔵物である焼き物の欠片が展示されていました。これらからも早くから人が住んでいたことが想像されます。栗林公園は西島八兵衛が造った、そして小堀遠州(政一)が造ったということを考え合わせると、古い時代の庭をだんだんと直していったと考えられます。小堀遠州は22歳で備前松山城主となった茶人、造園家で宮中の御所とかも手掛けています。栗林公園が回遊式庭園であるということからすれば、小堀遠州が造ったという可能性も高く、それに地元として協力したのが藤堂藩から来ていた西島八兵衛であるといえます。とにかく栗林公園は素晴らしい公園で、大正8年の国定教科書に「日本三名園(偕楽園、兼六園、後楽園)は素晴らしい、栗林公園はその3つよりも素晴らしい」と写真入りで出ました。これは国定の名園であるということで、これによって特別名勝にも指定されたのです。また、江戸末期から明治にかけては南湖の飛猿巌付近には大亀や大鯉がいたといわれ、戦時中には鉄道連隊が池の鯉を全部食べたというような話もあります。栗林公園は借景の紫雲山(昔は馬背山と呼ばれていた)があって素晴らしいのであり、周辺も全部含めて栗林公園なのです。今後は周辺のビルの建て方にも配慮が必要ではないかと思います。栗林動物園も昭和5年に県が運営できなくなって、香川松太郎さんがするようになりましたが、越智会員が言うように、ここに動物園があったというモニュメントでも残すべきではないかと思います。50mプールや子供用プールがあったとか、6本足の牛がいたとかの正式の記録はありません。このような口伝、外伝は大事にするべきだと思います。栗林公園の名前の由来は中国の「荘子」の中に「栗林に遊ぶ」という件があり、そこから取ったといわれています。元々は竹林であり、備荒林として栗を植えていたが、松平第10代の頼胤公が鷹狩をするのに邪魔だということで、3本を残して伐ってしまったと言われています。幕末(嘉永年間)に全部なくなっていたが、昭和30年代の公園事務所長であった藤田勝重さんが何本か植えて今も少しだけ残っています。私は明治からの香川県の事件史を書いてきましたが、その中で栗林公園蓮池殺人事件というのがありました。これは大正12年に岡山の下津井の町会議員が28歳の(今で言う)風俗嬢とややこしい関係になって、殺して蓮池(芙蓉沼)に放り込んだという事件ですが、このようなことも知っておくと詳しい人だと思われるかもしれません。ここの蓮もそうですが栗林公園には食べ物に関係した樹木が多く、第5代の頼恭公の時には平賀源内が薬草園を造っていました。そのときの名残が再来年で100年になる県木のオリーブで、平賀源内が岡山県の橋本付近で見つけた木が、本草学上ポルトガル(ホルト)の木であるとし、栗林公園に植えましたが残念ながら枯れてしまいました。丸亀城には残っていますが、もう1本植えた方が良いと思います。最後に栗林公園は左側に池が見えるように歩くのが正しい歩き方のようです。また、東門が今は正門になっており(昔は裏門であった)、そこに常盤橋がありますが、これは高松城の南側の今の三越の辺りに架かっていた橋を持ってきたものですが、これも「ときわばし」ではなく「とっきわばし」というのが本当ですが、これも口伝でないと伝わりません。その橋を渡りながら、昔ここで博覧会があったとか美術館があったことなども伝えていっていただきたいと思います。今日は世伝ではなく外伝を申し上げました。

会長挨拶

 今日はおめでたいお知らせがあります。藤田徳子会員が11月18日(土)に男児を出産されました。昨日、会社を訪れてご主人様にお話を伺ったところ、母子ともに健やかで順調ということでございます。お仕事の方も約1ヶ月は休養されるということで、例会で元気なお顔が見られるのは年明けになるのではないでしょうか。誠におめでとうございます。
さて先程、佐々木副会長様よりロータリー財団地区奉仕賞をいただきました。ありがとうございました。今月はロータリー財団月間ですが、2670地区でどのクラブがR財団への寄付累計金額が最も多いかご存知でしょうか。高知県の仁淀RCで、今までに約$214,000寄付しています。香川県では高松中央RCが約$166,000 でトップです。どちらも会員数はそんなに多いほうではありませんが健闘しています。皆様もロータリー財団への理解とご協力を宜しくお願いします。
ロータリー財団地区奉仕賞

幹事報告

 12月3日(日)栗林公園商工奨励館での香川学会への出席よろしくお願いします。

委員会報告

・ 親睦活動委員会
  12月6日(水)18:00〜クリスマス家族会は今のところ126名参加の予定です。
  18:00に写真撮影を行ないますので時間厳守でお願いします。
  明日の一日会は志度CC8:40集合です。

その他

11月22日(水)例会出席報告 正会員 74名 当日出席数 47名 出席率 68,1% 11月8日(水)出席率訂正 正会員 74名 メイクアップ 3名 当日出席数 55名 出席計 58名 出席率 84.1%
次週プログラム》12月6日(水) 18:00〜 場所:全日空ホテルクレメント高松 クリスマス家族会
会 員 掲 示 板

ビジター 1名

メイクアップ会員
松本、宮脇、牟禮、森部、豊田、田邉、中尾、藤田、森(敬)、佐藤、中矢、川島、福原、泉川、北村、眞鍋、上村、江見、白井、林、谷本、伊賀、大倉、小野、山ア

ニコニコ箱
岡会員「結婚記念日の花束、ありがとうございました。小野さん、クリスマスツリーのお仕事、ありがとうございました。」
牟禮会員「結婚記念日の花束、ありがとうございました。」
詫間会員「結婚祝い有難うございました。29年感慨深いです。」
永野会員「誕生祝 結婚祝 HC欠席」
森(敬)会員「昨日の大阪出張にて、工事が受注できそうです。忙しくしていて、遅れてしまいました。スミマセン!」
中村会員「お先に失礼いたします。」
北村会員「お先に失礼します。」
計  ¥ 24,000
合 計  ¥ 514,000




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