上甲(じょうこう)晃さんという方の講演の中で印象深いお話がありました。
『私は、ある育英財団の選考委員もしています。
奨学金を出してあげる選考試験でのこと、面接に来た人の中に、顔の半分にあざがある女学生がいました。ああ可哀そうだなあ、と思ったんですね。他の選考委員の人達も誰もその事に触れず面接が全部終わったんですが、彼女が最後にこう言うんです。
「私のあざをみて下さい。このあざは病院に行きましたら、治すことができると聞きました。だけど本当に取っていいかどうか悩んでいます」そんなもの早く取ったらいいのにと、私は内心思ったんです。ところが彼女は「確かに、このあざのために本当にいじめられました。しかし、いじめられている私をみて、本当に私を支えてくれた友達もいました。青いあざのおかげで本当の友達にめぐりあうことができました」と言うんですね。「学年で成績が一番になれたのも、青いあざのおかげ」と言うんです。
私はその言葉を聞いて、17歳の高校生だけど、えらいなあと思いました。外見的にみたら、青いあざなんか何のプラスにもならない、本当に邪魔にこそなれ、何の得にもならないと思ったけれども彼女はその青いあざのおかげで、ここまで自分が頑張ることができ、本当の友人ができたと言うのです。
「全てこの青いあざのおかげ、だから本当に簡単に取ってしまっていいものか、悩んでいます」という言葉に私はたいへん勇気を与えられた気がしました。
逃げることができないことについては「それもまたよし」というふうに考える時、はじめてハンディキャップもプラスに生かすことができます。そして、その「生かす」ということが人間の「生きる」という意味ではないかと思います』 |