した。この病気は体の機能が次々に衰え、発症から10年から15年で死を迎えるという恐ろしい病気です。
教師を辞めることを考えた崎坂先生に「あんたしかできん教育があるとと違うと」と同僚の先生から励まされ、体力の続く限り教壇に立ち続ける決意をしだそうです。崎坂先生は授業中いつも「問題を解き終わったら、人に教えろよ。自分だけできればいい、そんな人間にはなるなよ」と教えていたそうです。
病気が進行し自分で運転が出来なくなってからは奥様の運転で学校に通いました。学校に着くと数人の3年生の生徒が崎坂先生をおぶって職員室のある2階まで行き、2階に着くと女子生徒が上履きを用意して待っていてくれたそうです。入試で3年生が来られなかった日は2年の男子にその役目を頼み、後輩たちも1日も休まず続けてくれたそうです。
平成2年の卒業式の日、問題児と言われていた生徒が「はよう、バイクん免許ば取って、バイクは買って、サイドカーに崎坂先生は乗せて俺が送り迎えぱしてやる。免許は取るまで、おらすやろか」とぼろぼろ涙を流したそうです。
崎坂先生でなけれぱできない「尽し合い」の教育を命をかけて実践されたことに感動しました。今は亡き崎坂先生のご冥福をお祈り致します。 |